ハギギ工房
エスファハンのとある絨毯織物工房がハギギという名の一族によりかつて失った活気を再び取り戻すことになったのは1891年頃のことでした。ごくわずかな投資をもとに絨毯織機の復活を実現させたのは、他でもない家族の助け合いと彼らの決して諦めることのない熱意でした。ハギギ工房に入った記念すべき初のオーダーはエスファハンの統治者ゼル・ソルタン王からのもので、王の全身写真を織り込んだ絨毯が製作されました。ハギギ工房は設立当初から絨毯産業において高い評価を獲得しました。
高度な技術の習得と最高級素材の取り入れにより彼らに対する評価はより一層高まりました。熟練した技術に加え、エスファハンのメヘディハン・サフダルザテ・ハギギ師の誠実さは、その当時の商人や手織り絨毯愛好家達の間に広まりました。フランス参事は政府の命により経済および国際貿易を目的に、手織りペルシャ絨毯の製作および発展に関与しようと使節団を編成しました。
任務の遂行にはエスファハンの少数派ユダヤ人が採用され、参事はハギギ師と共に先頭に立って指揮をとったのでした。その日、約20の織機と約100名の従業員を持つ工場が設立されました。3年もたたないうちに彼らは100枚もの手織り絨毯を製作し、その後工場はさらに織機の規模を拡大しながら製作を続けていきました。
ハギギ工房の特徴である独創的な他では見ることのないデザインを生み出しているのがデザイナーであるイマミ氏の魔法の手です。またその繊細な色彩を可能にしているのは化学物質を一切使用しない従来からの草木染めです。製作された絨毯の一部はエジプトやベイルート・ヨーロッパ諸国に輸出され、その中にはエジプト政府の幹部邸宅に敷かれているものもあります。
ハギギ師は彼の人生の大半ともいえる1968年までの約60年もの長い時間を絨毯業界に費やし、その後絨毯産業を息子たちに譲り約20年彼らとともに過ごしました。彼の築き上げた芸術が彼の死とともに忘れ去られることはなく、それどころか息子たちの長年に渡る努力と熱心な修行によって父の技術は確実に受け継がれ、今日まで残されています。
フェイゾッラ・サフダルザテ・ハギギ師は芸術一家に生まれました。彼は小学校を卒業後、秀でた芸術的才能を伸ばすべくエスファハン美術専門学校へ進みますが、それと同時に尊敬する父親の監視のもとで絨毯製作の基本的な技術に自然と精通していきました。
彼は細密画イルミネーションと絨毯デザインで教鞭を執るロスタム シーラジ師とイーサ・バハドリ師の監督下で修行を始め、専門学校で一般課程を修了した後は更に細密画部門に進みました。そして卒業後エスファハン文化遺産団体に籍を置きました。どの教育段階においても彼は常に芸術的絨毯の製作のため多忙な日々を送りました。1971年に彼はさらにその技術を磨くため別の美術専門学校へ編入しました。
その当時、合衆国の首脳たちがイランを訪問していましたが、実際誰もが揃ってペルシャ絨毯の美しさに舌を巻きました。そして彼は一人一人の肖像を一人一人の要望に応じて織り上げたのでした。次第にエスファハンの斬新的なデザインの絨毯は全て彼によって織られることになりました。
もちろん彼が取り組んできたのは斬新的な絨毯ばかりではありません。彼はイランの細密画で著名なロスタム シーラジ師やノールズ ハフィジ師などイランを代表する絨毯デザイナーと共に積極的に伝統的絨毯の製作にも関わってきました。父親の経験と35年以上に渡って自ら培った技術の恩恵を受けながら幾年も実践を積み重ねることにより、彼の傑作作品はイランの豊かな文化ならびに手織り絨毯産業に多大な貢献を与えてきました。彼は想像できるデザインならどのようなものでもあらゆる種類の絨毯を織り続けてきました。
〜ハギギ絨毯について〜
現在、我々が一般的にハギギ絨毯と呼ぶ作品のほとんどはフェイゾッラ・ハギギによるものです。彼はハギギ工房創設者である父メーディ・ハギギ(1888年〜1968年)の三男として1942年この世に誕生し、現在も精力的に活動を行なっている。彼の一家は父をはじめ長男のゴラマリ(1990年逝去)・次男のヤドッラ(1928年〜現在)も絨毯製作に携わっているが、ハギギ工房が現在の名声を築くのに最も貢献したのは三男のフェイゾッラである。
彼はエスファハンにあるイラン屈指の美術大学で絨毯の勉強を積み、学校を卒業後は数年間文化遺産庁で働いた経験をもつ。その後に文化遺産庁を去った後再び美大に戻り、さらに感性を磨いた後に26歳の時から絨毯製作を開始した。数年後には学校を辞めフリーとして本格的に絨毯製作に従事するようになった。
彼は素材の染色を自ら行い、その高度な技術は作品に見事に反映されている。彼の絨毯のデザインの多くはエスファハンで最も名高いデザイナーのロスタム・シラズィが手懸けており、2人の絶妙のコンビネーションにより数多くの最高傑作が輩出されている。ハギギ工房の年間生産量は約200平方メートルと言われている 。
・デザイン |
ロスタム・シラズィ作の斬新デザイン |
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・色 |
素材の染色を工房自ら行う |
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・技術力 |
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・素材品質 |
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・総合評価 |
選定材料不足のため未評価 |
ペルシャ絨毯の工房
ペルシャ絨毯発祥に携わる有名工房はもとより、新進気鋭の工房までをご紹介しております。
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ペルシャ絨毯の生産都市
ペルシャ絨毯は5大産地と呼ばれる代表的な生産地とローカル産地が存在します。
Esfahan |
Kashan |
Tabriz |
Ghom |
Nain |
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Shahreza |
Birjand |
Bijar |
Kerman-ravar |